「自分の話すことに注意しなさい。普段君が話していることは、君の未来を作る。君が人の悪口、否定的なこと、ゴシップの話をすれば、君の将来はそういったネガティブなもので満たされる。」
本田 健 『ユダヤ人大富豪の教え』 ( だいわ書房 ) p132より
先日、久しぶりにある友人と話をしたときのことだった。僕は、ここのブログに書いてきたように、和歌山に旅行に行って以来(!?)、大変化が起こっている。
これまでの人生と音楽へのかかわり方を心から反省し、変化することを決めた。具体的には、お金にはなるけれど嫌いな仕事、興味がない仕事、やらなくても良い仕事は毅然と断り、自分のお金と時間を大事にし、演奏する曲と共演者を厳選して、自分の本当にやりたい音楽の研究と演奏に集中すること…「選択と集中」を決意した。
それからというもの、お酒を断ち、mixiをやめ、身の回りから不要なものをどんどん廃棄していきった。「お金にはなるけれど嫌いな仕事や興味のない仕事は断ってきた。自分の音楽をお金を払って聴きに来てくださるお客様のために、毎回、妥協せずに最善を尽くすことを決意した。これまで、なんてヤワな気持ちで演奏をしてきたんだろうか。本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいだ。
来年の展望としては、あれこれいろんな相手といろんな曲を演奏してきたことを改め、「これが自分の音楽です!」と言える曲と演奏スタイルを作ることに専念し、それをいつでもベストの状態でお客様に聴いて頂けるように磨きあげることに専念する。そのため、音楽を追求していける仲間(共演者)も1人に絞った。
友人に来年の展望を訊かれたのでそのようなことを話したとき、彼からはこんな言葉が返ってきた。
「たくさんの曲を弾けるのが君なのだから、曲にこだわるようなのは向いていない」
「こだわりというものは生来備わっているものだから、後から考えて作ろうとしても無理だ」
「(僕が共演者として選んだ人)は、自分のスタイルや曲へのイメージがしっかりあるから、伴奏者としてはうまく折り合えないだろう」
長年の友人のこのようなネガティブな言葉に、返す言葉もなく、がっかりしてしまい、それ以上このことに関しては何も話す気になれなくなった。なぜ彼はこのような言葉を発したのだろうか。友人としての助言だろうか。しかし、一体、こんな助言がどんなプラスの価値を生むのだろう。
助言というのは、覚悟がいるものだ。相手の立場に立って、相手の幸福のためにその人が間違った道に進まないようにすることだと僕は思う。そして、どの道に進もうとも、その人の失敗を慰め、前途を応援してあげたい、というのが善意のある助言だ。
ことわっておくと、彼はいつもマイナスの言葉を発しているわけではない。むしろ、逆だとまわりからは思われていると思う。では、彼は、僕のことが嫌いなんだろうか?この段階ではなんとも言えない。
ただ明らかなのは、世の中にはどんなに正しいことや素晴らしいことをしている人にも、それをやっかんだり、妨害したり、嫉妬したり、足をひっぱる人はいるということだ。自分もその立場にいたことがあるから、よくわかる。
そして、やっかいなことに、こういった「ネガティブな意見」は、「もっともらしい助言」の形を取って発される。その言葉が、相手の心のどのあたりから出ているのかをよく考えることが大事だ。
僕は昔から気をつけていることがある。ネガティブなことは口に出さないことと、悪口や噂話はしない、ということ。
「自分は、もうダメだ。」「何をやってもうまくいかない」と口にしていると、自分の前途は暗くなる。
「あいつはダメなやつだ。」と言う人は、自分もそう言われる立場に進んで身を投じている。
奥さんに、「お前の料理はいつもまずいよな」といえば、永遠においしい料理にありつくことは不可能になり、「今日もしょぼくれた顔だな」といえば、どんどん奥さんの人相が悪くなっていく。そればかりか奥さんからの信用や愛情も失われていく…。
言葉というのは、現実になる。
説明するまでもないけれど、こういうことの逆をすれば、どんどん運が向いて、楽しく、幸せになる。
友人の言葉にはとっても落ち込んだけれど、それがバネになって、燃えさかる闘志が湧いてきた。