"忙殺"されている。
忙しくして殺される、と書くが、忙くしすぎると本当に死んでしまうのかもしれない。万笛博覧会のチラシ入稿までに、協賛ご協力をして頂く企業や後援先を集めたり、プログラムの詳細を詰めたりしなくてはならず、万笛博覧会はこの時期が本番に続いて最も忙しい。ほかにも、2回のレコーディングのための上京や、5月の労音公演のための選曲や、ネットショップの改装、ほかのいくつかのバンドの準備などが重なっているし、ありがたいことに、生徒さんがこの1ヶ月でとても増えてきている。
そんなあれこれを全力でまともにしようとすると、睡眠時間が減り、食事もろくに取れない…という状況になってしまう。忙しくするのは、今はあまり好きではない。まず睡眠時間が削られ、次に練習時間が削られ、そして自分について考える時間が削られてしまうから。
忙しすぎるのは何かがおかしくなっている警告だと思う。企業であれば、残業して休日出勤しなければ仕事が回らず、誰かが風邪を引いて休みでもしたら仕事がストップしてしまう、というのは、仕事の進め方や仕事内容などが間違っている証拠なのだと読んだことがある。
人生において、本当に大切にすべき事は、実は少ないと考えている。だとすれば、忙しすぎるのは自分が見えていないという警告なのかもしれない。「何事も全力で取り組みます」といったモットーがあるが、すべての事柄に優先順位をつけずに全力で取り組めば、どんなにエネルギーがあっても足りず、本当に大事なことが中途半端になるのは明白だ。
昨日はバロック音楽のレッスンがあった(僕が習うほう)。ちょうど、昨日の雨の日に良く似合うような、重苦しい曲だった。バロックは大事な音とそうでない音が明らかであり、退屈な演奏をしないためには大事な音を大事に吹かなければいけない。すべてを均等に吹いていたら、演奏が平坦になってしまうのだ。
これは、人生にもいえることではないだろうか。仕事も人間関係も生活も、無駄を省き大事にすべきことを大事にするだけで、すっきりし、本当に重要なことだけにエネルギーを集中できる。4月末でこの多忙がひと段落したら、改めて自分にとって重要なことを確認し、そこに集中するようにしよう。