車に乗り、お寺につきました。大広間にはまだ殆ど人が来ていませんでしたが、ぽつぽつと集まりだし、机を並べたり、ご飯を並べたりと賑やかになってきました。
30人くらいの方にお集り頂き、準備が整ったところで、ぶん太さんから開会のご挨拶。今回の公演の趣旨と、今日の交流会の趣旨の説明、僕たちのご紹介を頂く。
乾杯の音頭のあと、ぶん太さんから皆さんをご紹介頂く。笛演奏のチャンピオン、指導者、楽器製作者を中心に、そうそうたるメンバーにお越しいただいたよう
です。本当に畏れ多いです。
簡単なレクチャーと演奏を、とのことだったので、楽器や音楽についてお話をさせて頂き、いくつかの曲も吹かせて頂きました。
何しろ、この囃子を年十年と吹き続けている重鎮、楽器職人、
お弟子さんなどを前に、ケルトの笛の魅力を伝えて下さい、なんて。圧倒されるような囃子の演奏者がたくさんいるのだから、
必要ないんじゃないか、とさえ思った。
興味津々に見てくださる方もいれば、ほとんど見向きもしない方・・・きっとあの見向きしない人は「大御所」なのだな。それは、いきなり見たことも聴いたこともない「ケルトの笛」だものな。よし、負けるもんか。自分の音楽をやるだけさ。
ひたすら緊張した上に、かなり時間をオーバーしたけれど、なんとかまとめる。一生懸命喋って、吹いたけれど、これほど打ちのめされるような
気分になったのは久しぶりです。
しばらくすると地元の囃子演奏家の方が、次々と演奏を披露。常に、笛と鉦と太鼓の計3人がひとチームとなるようです。
同じ曲(登山、下山囃子)を吹いているのに、一人一人、まったく違う演奏をする。そのどれもが、津軽のアクセントを備えている。ぶん太さんの演奏では、ぶん太さんのお母さんがエプロンがけのまま、鉦で参加。ぶん太さんのお弟子さんの笛の時には、ぶん太さんの奥様が鉦で参加。

お母さんも奥様も演奏をなさるとは思っていなかったので、大変驚いた。しかもみんな、とっても上手い!普段は他の仕事をしながらも演奏家として一流である多くのアイルランド人ミュージシャンとイメージが重なった。
ここで、津軽の笛について簡単に説明します。
津軽の人々の信仰を集める霊峰・岩木山。旧暦8月1日には、村落ごとに笛や太鼓、鉦を鳴らしながら集団で岩木山に登り、五穀豊穣を祈りご来光を拝む「お山参詣」が伝統的に執り行われてきました。
お囃子は、すなわち登山の時の囃子、下山の時の囃子の2種類。それぞれの囃子を演奏するために調子の異なる2本の横笛を使います。それぞれの笛では、1曲だけしか演奏しないのです。どちらの囃子も、一通り吹いても2分にも満たない短い曲。これを延々と繰り返して、山を登り、降ります。
ぶん太さんは小学校3年生の頃に囃子の笛を吹く名人おじさんを聴いて惚れこみ、入門して修行に励み、岩木山奉納本大会で現役最多の6度もの優勝を果たした、若手実力者なのです。
津軽の人々は、この1年に一度演奏する短い曲だけを、ひたすら何十年も練習し続けるのです。それも、習うのも教えるのも演奏するのも、お金とは全く無縁の世界で。ひたすら岩木山への敬意を表現し続けるために。
ぶん太さんもまた、チャンピオンになったあとも、「お前の演奏は上手いだけで、岩木山が見えない!」と、師匠からしごかれたそうです。そう、最高にスピリチュアルな音楽なのです。
ぶん太さんのお弟子さんは言います。
「笛が上手い人はたくさんいます。でも、ただ上手いだけで何も感じさせない人がほとんどの中で、ぶん太さんの演奏を聴いた時は鳥肌が立ちました。そして、入門を決めたのです。」何だかますます、アイリッシュの話を聞いているみたいだ・・・
宴もたけなわ、お酒もすすみ、皆さんだんだん砕けた雰囲気になりました。若手の方を中心に、僕の笛に興味を持って色々聞いてきてくださったり、僕の笛を吹いたりしていました。交流会らしくなってきました。でも、「大御所」は、中年のお仲間と座敷の奥の方で酒を飲むばかり・・・。
円満な雰囲気で会が終わり、会場の撤収を始めた頃に、「大御所」をつかまえ、お話させて頂きました。
とても厳しい方かと思っていましたが、思いのほか丁寧な方で驚きました。いろいろなお囃子のことを伺いました。
「昔は装飾音をたくさん入れて、音を転がすことがうまいんだと信じていた。でも、師匠から、笛は息で吹く楽器なのだから、音数を増やすなどゴマカしだ、息で音を変えろと指導されてしまい、
ある時期まったく吹けなくなってしまった。
少ない音数で、説得力のある演奏を目指すようになった」
「今では80ほどの団体があり、それぞれに違った囃子を伝承している。流派を統一させようなんていう話もあるが、そんなことはばかげている。それぞれ違った流派があるから面白いのであって、
どこも同じ演奏になっては、意味がない」
「どんなに音が綺麗でも、弘前の"におい"が感じられなければ、
弘前のお囃子じゃない。」
これ、まるで守安功さんが本に書いていた音楽家の話のようですが、
アイルランドの話じゃないですよ。
僕などは、1曲できるようになったと満足したら、次々と新しい曲を吹きたくなるし、演奏もレッスンもお金が関わる世界の中に生きていますが、ここまでの高い精神性を持って音楽に向き合えるのは、ある意味究極のアマチュアリズム(もちろん、最高の賛辞です)だと思うのです。志(こころざし)、精神性の高さという意味では、どんな一流のプロにも引けをとるものではありません。
日本にも、こんな偉大な伝統音楽があったなんて。初日からノックアウトされた気分でした。これだけでも、津軽に来れて本当によかった。いや、今日はどの体験をとっても、すべて最高の一日でした。
(2日目へ。まだまだ続く。)