随筆  

最近、プロフェッショナルとして音楽をするにあたり自分が大事にしたいもの、またプロフェッショナルな音楽家に対して自分が惹かれるものはこういうものなのではないか、と漠然と考えていて、形になりつつある。以下のことは、僕が演奏しているアイルランドなどのケルト音楽に限らずに書いています。

第一に主体性。

「何を、なぜ、どのように」やりたいのかというのが明確であること。

「何を」…やりたいことがハッキリせず、与えられたものだけをやっている人は多いように思う。自分が弾く曲を自分で見つけ出せこと。

「なぜ」…売れている、流行っているから、というのは理由にはならない。その曲を弾くのが自分でなければならない理由、自分が弾く曲がその曲でなければならない理由が明確であること。

「どのように」…それをどのように弾きたいのか明確でなければならない。CDを聴いていて良い曲だったからこの曲を選びました、だからこのCDのとおりに弾きましょう、この人みたいに弾きたいです、ではそこに自分が無い。

第二に独創性。

誰かにあこがれて、頭の中にその人を思い描いて、そのように演奏したい、というのはプロとは言えない。どんなに上手くその人のように演奏出来たとしても、二番煎じは絶対に一番手に勝つことが出来ないし、それが外国の音楽であれば尚更、外国人である自分がやる必然性が無くなってしまう。
独創性というのは何も、奇抜なことをしなさいとか、オリジナル曲を書きなさいとかいうのではなく、その人そのものが音楽に現れることが大事なのだと思う。

第三にエンターテイメント性。

見る人を意識しているのかどうか。もちろん、お客さんにおもねるべきだとか、舞台でジョークを言って観客を沸かせるべきだと言っているのではない。

自分がやりたい音楽が出来て嬉しい、それをお客さまにも見てほしい、というのは自己満足だ。自分が得意なこと、やりたいことで、お客様に感動して頂き、何かを感じ取って頂きたい、というのがプロとしてあるべき姿勢なのではないだろうか。
文章にとっても言えることで、昔はMIXIをやっていたけれど、しばらくしてほとんどの日記がただの独白、読み手を意識していないだらだら書きであることに落胆してしまった。僕は、その点ではつねに読む人の目線を意識して書いていたように思う。

残念ながら、身近なところでこの3点を満たしている演奏者は、非常に少ない。誰かのコピー演奏にとどまってしまっていたり、流行の曲を流行のスタイルで演奏しているだけだったり、お客さんにおもねってスタンダードナンバーばかり演奏していたりする。極端なところでは、演奏技術が未熟なのに、お客さんを無視した自己満足的な演奏でお金を貰っている、ということすらある。プロという自覚すらないのかもしれないけれど…。

そういう意味において、Fiary Danceのメンバーは本当にすばらしい面々だと自負している。

アイリッシュに関係したところだと、最近聴いた守安功さんの「オキャロラン曲集」はびっくりするくらい独創的ですばらしかった。あまりに理想郷的な音楽で、「守安さんワールド」ではあるけれど、それは氏にしかできない音楽という意味においてとてもオリジナルなものだ。実は、このCDを出していらっしゃるWAONレコーズさんでは、僕の先生の録音も作っている。お互いに面識はなさそうだけれど、何かのご縁かもしれない。
それに、先日東京で録音した、吉原さんの完全にオリジナルだけのCD製作も注目すべきことだと思う。

アイリッシュに関係のない東京のアコースティック・ミュージシャンに惹かれる理由は、この3つをきちんとクリアできているからなのだ。先日の「尺八とお琴とウードとレクでアラブ音楽」も、とびっきり面白かった。

自分はこの3つをいつまでも心に留めていきたいと強く思う。

 

2008年04月26日 07:57

"忙殺"されている。

忙しくして殺される、と書くが、忙くしすぎると本当に死んでしまうのかもしれない。万笛博覧会のチラシ入稿までに、協賛ご協力をして頂く企業や後援先を集めたり、プログラムの詳細を詰めたりしなくてはならず、万笛博覧会はこの時期が本番に続いて最も忙しい。ほかにも、2回のレコーディングのための上京や、5月の労音公演のための選曲や、ネットショップの改装、ほかのいくつかのバンドの準備などが重なっているし、ありがたいことに、生徒さんがこの1ヶ月でとても増えてきている。

そんなあれこれを全力でまともにしようとすると、睡眠時間が減り、食事もろくに取れない…という状況になってしまう。忙しくするのは、今はあまり好きではない。まず睡眠時間が削られ、次に練習時間が削られ、そして自分について考える時間が削られてしまうから。

忙しすぎるのは何かがおかしくなっている警告だと思う。企業であれば、残業して休日出勤しなければ仕事が回らず、誰かが風邪を引いて休みでもしたら仕事がストップしてしまう、というのは、仕事の進め方や仕事内容などが間違っている証拠なのだと読んだことがある。

人生において、本当に大切にすべき事は、実は少ないと考えている。だとすれば、忙しすぎるのは自分が見えていないという警告なのかもしれない。「何事も全力で取り組みます」といったモットーがあるが、すべての事柄に優先順位をつけずに全力で取り組めば、どんなにエネルギーがあっても足りず、本当に大事なことが中途半端になるのは明白だ。

昨日はバロック音楽のレッスンがあった(僕が習うほう)。ちょうど、昨日の雨の日に良く似合うような、重苦しい曲だった。バロックは大事な音とそうでない音が明らかであり、退屈な演奏をしないためには大事な音を大事に吹かなければいけない。すべてを均等に吹いていたら、演奏が平坦になってしまうのだ。

これは、人生にもいえることではないだろうか。仕事も人間関係も生活も、無駄を省き大事にすべきことを大事にするだけで、すっきりし、本当に重要なことだけにエネルギーを集中できる。4月末でこの多忙がひと段落したら、改めて自分にとって重要なことを確認し、そこに集中するようにしよう。

 

2008年04月25日 07:40

今日の日記は、人によっては「グロい~」と思うかも?好きな人にとっては、「美味しい」話題です。

昔、大学を出てしばらくの頃、魚屋さんでアルバイトをしたことがあります。そこで魚のさばき方を習ったお陰で、お魚料理を自宅で楽しめるようになりました。近所に、「つかしん」という、とても生鮮食品が新鮮で安いショッピングモールがあり、妻とよく出かけています。朝早くに行くと、取れたての魚が一本まるごとで安く手に入れることができますので、妻とダッシュで魚を求めに行きます。

この日は、ツバス390円と、ボラ250円。ボラは、先日初めて買い、フィッシュ&チップス風にフリッターにして食べたらとっても美味しかったので、大好きになりました。それまで知らなかったのですが、海底で泥や海草を食べて暮らす魚で、漁獲地によってはやや臭みがあるが、新鮮なら造りで食べられるとのことで、今回はボラの造りに挑戦。

包丁をよく研ぎます。6年くらい前に京都「有次」で買った自慢の包丁。
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魚たち。
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2枚におろしました。
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さらに3枚におろしました。今回も、骨が透けて見えるくらい綺麗にさばけて、とても気持ちがいいです^^

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お刺身になりました。
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ボラは、フグのように歯ごたえがかなりあり、臭みは心配したほどでもなく、美味しかったです。ツバスは淡白ながら甘みがあり、プリップリで美味しかった!

僕は、アジ、鯛、サンマ、カンパチ(ブリ)のお造りが好きです。青魚は、新鮮だとびっくりするくらい美味しいので、ぜひ試してみてください!

 

2008年04月10日 07:50

昨日はレッスンのお仕事が午後までだったので、そのあとで妻と王子動物園に行ってきました。お天気が良く、桜が満開で最高の春の一日でした。

ここでは何度も書いていますが、動物は大好き!もう動物のことを考えるだけで目じりが下がってしまいます。神戸の王子動物園はうちから30分という近場ですが、これまで入ったことがありませんでした。調べてみると動物ふれあいコーナーがあるというので、行くことを即決しました。

入場したのは午後3時。閉園まで2時間です。
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園内すぐにフラミンゴ池がありました。ピンクの群れは桜のピンクとマッチしてとても幻想的です。
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ダッシュでふれあいコーナーに入りました。リャマ?が迎えてくれました。パンフレットに「こどもの国」と書いてあって笑いました。大人だって動物と触れ合いたいんです!

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モルモットに触ってきた!可愛い!!
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アシカです。水槽でガラス越しに見ていると、目の前でターンを見せてくれて、「ニマっ」って微笑むのです。もう、たまりません!アシカたちが突然引き返したかと思うと、一箇所に集まりました。車の音を聞きつけていたようで、おじさんが餌をくれるのを知っていたのです。賢くて感動しました。
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ほかにも、キリン(とっても優しそうでした)、カンガルー(ぼーっとしていました)、愛嬌のあるウサギ、極彩色のインコなど、見ごたえたっぷりでした。

また、夢がひとつできました。アフリカのサバンナで、野生のフラミンゴやライオンや像やシマウマを見てみたいのです。きっと、感動することでしょう。

動物は不思議です。彼らの見せる行動や表情、しぐさは本当に興味が尽きることがありません。インスピレーションが湧きまくります。いつか、動物に囲まれて自然の中に暮らしたいものです。

 

2008年04月06日 09:36

昨日は大好きなお花について書きましたが、今日は嫌いなものについても書いてみます。僕が世の中から無くなれば良いのになあと思うことのうち、「戦争」についでランクインされるのは「煙草」です。

★☆★☆ここからの文章は、特定の喫煙者に向けて書くものではなくて、「タバコ」について書いているだけですので、喫煙者の読者の方は傷つけられた!と思わないで下さいね。喫煙者は、肩身が狭い余りに、タバコへの非難を自分への攻撃と受け止めやすいようです。例えばセロリが大好きな人が、セロリが嫌いって書いたブログを読んで怒るなんて、おかしいですよね!?★☆★☆

うちの父親はヘビースモーカーで、家にいるときは所かまわず煙草を吸っています。おかげで小さい頃から、タバコの煙には慣らされてきて、車の中が煙っていてもあまり気にならなかったのですが、思春期になり、周りにタバコを吸う者が出始めて、タバコが大嫌いになりました。

タバコの何が嫌って、①煙たいこと、②臭いこと(特に、髪や服ににおいが着きます)、③健康に悪いこと(僕の場合、目がかすみ、息が浅くなり、鼻が詰まり、頭が痛くなります)、④壁紙が黄ばんだり、じゅうたんが焦げたりすること などなど、他人に迷惑を及ぼすことが多いからです。そばでタバコを吸われると、とにかく嫌な気持ちになるのです。

余り言いたくないことですが、喫煙者のマナーは大問題です。路上落ちているゴミの大半は吸殻ですし、歩きタバコや自転車や車に乗りながらのタバコは危険です。レストランでタバコを吸う人は、他人が食事を楽しんでいることが理解できないのでしょうか。タバコのアレルギーの人は本当に存在するので、人前でタバコを吸うときは、許可を求めて欲しいものです。自分勝手な喫煙者が多すぎるのではないでしょうか。(ここの読者にそういう方がいないことを祈ります!)

僕の友人では喫煙者は少なく、生徒さんでは殆どいません。アイリッシュ関係者は健康志向なのでしょうか。喫煙者の方は、少なくとも、僕の最高の状態での演奏を聴きたいと思うのなら、どうか近くでタバコを吸わないようにお願いします。タバコの煙を吸うと、むせこんでしまいそうになのです。

さて、先日、レッスンに行く途中に「PASMO」という、自販機でタバコを買うための認証カードにサインアップするために並んでいる人の列を見ました。そこまでするのですから、当然、ここに並んでいる人は全員喫煙者でタバコが大好きなわけです。

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僕は、いったいどんな人相でどんな身なりの人が、ここに並ぶのだろうと興味深く観察しました。自分と違う世界の人を観察するのはとても興味深いです。時々、早朝からパチンコ店に並んでいる人の列や、バーゲンの開店に並ぶ人の列を眺めたりもします。そこから、一定のオーラや、行動パターンや、人相や身なりの共通点が浮かび上がるのではないかと考えるからです。

タバコといえば1995年に放送された、テレビ番組「世にも奇妙な物語」で筒井康隆原作の「最後の喫煙者」というショート・ショートがあり、記憶に残っている方も多いかもしれません。ストーリーは、上記リンク先をご覧ください。傑作でした。おそらく筒井さんは喫煙者で、嫌煙への風潮を風刺して、自虐をこめて書いたのでしょう。you tube等で探してみたのですが、見つからないですねえ。もう一度見たいです。

海外ではタバコは日本より高い国が多いようです。なぜ日本では安くタバコが買えるのか?

日本の輸入農産物に占めるタバコの位置は大きく、加工品を含めると農産物輸入額第3位(2002年)になります(1位 豚肉 4700億円 2位 木材 3330億円 3位 タバコ 3208億円)。
そのうち、輸入先はほとんど米国です(88%)。

つまり、アメリカでは税金を高くかけてあまり吸わないようにさせているのに、日本にはどんどん売っているということが分かるかと思います。タバコの健康被害は、社会保険費用を増大させて、問題視されています。

世の中は確実にタバコ廃絶へと進んでいるように思います。僕は、タバコは割礼とか、いけにえとか、魔女狩りとか、太古の時代に生まれ、現代には決してそぐわない、忘れ去られるべき風習だとまで思っています。

ここまで読んでタバコをやめたい喫煙者、またはやめて欲しいと思っている嫌煙家の方には、下記の本をお勧めします。成功に関する本ですが、健康についてかなりのページを割いていて、特にタバコ、アルコール、カフェインなどを「毒」として、やめる方法について色々提案しています。

今日はついつい書きすぎました。みなさまの反響をお待ちしています

 

2008年04月05日 08:00

春、桜満開ですね。桜は本当に綺麗です。春は街中が花でにぎわっていて、非日常な感覚に思わず心を打たれます。

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近所に、お花が好きなおば様が住んでいます。宝塚にお姉さんがいて、綺麗なお庭を持っているのだそうです。それで、時々、薔薇などの花を手折っては持ってきてくださいます。先日は、水仙やチューリップの鉢植えを持ってきてくださいました。
昨日は、帰宅すると郵便受けに桜の枝が刺さっていて、ちょっと驚きましたが、そのあとでおば様が来て、プレゼントです、と説明くださいました。

僕は去年まで殆ど花には興味が無かったのですが、コンサートで頂く花を玄関に飾るようになり、また、人に花をプレゼントする習慣を身に着け、おば様のお陰もあって花が大好きになりました。

うちはお客様が多いので花が玄関にあると、雰囲気が華やぎますし(花だから!)、家で一番良く通る玄関だから、通るたびに「美しいなあ、和むなあ」と思うことが出来るのは幸せなことです。

先月から、何も無くてもお花屋さんで毎月花束を買って飾ることにしよう!と妻と話しました。近所にかわいらしいお店があり、ひいきにできればなと思っています。今月の花はこれ。

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やがて、花を自分で育てたり、花の名前をひとつひとつ覚えていくことが出来れば嬉しいなと思っています。

 

2008年04月04日 07:40

おはようございます!うちの近所の桜が綺麗です。

今朝も5時に起き、ジョギングをして朝ご飯にフルーツをいっぱい食べました。
6時からは読みたかった本を読み、見たかった映画を見ました。
やるべき仕事は業務時間内に済ませ、やりたいことは早起きすることでやる習慣にすると、早起きするための意欲も湧いてきます。

今日見た映画は、アメリカ映画です。「素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life.」 公開:. 1946年

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とても古くて、白黒ですが、本当に良い作品でした。音楽や演出などの効果が素朴な分、役者さんの演技が素晴らしく、無声映画だったとしても充分に意味がわかるくらい訴えるものがあります。アメリカ映画という枠を超えて、人類の遺産ともいうべき普遍的な作品です。

後半で意表をつく展開が待っており、最後にはホロっと涙してしまいました。生きているって素晴らしい!毎日ご飯を食べたり、好きなことをしたり、好きな人に囲まれて暮らしているだけで、この世は天国のようだ。僕は心からそう思っています。ぜひお勧めします。

さて、昨日は20通くらいのメールをだし、5件くらい電話をかけ、8通の郵便物を出しました。
もちろん全て仕事関係です。

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手紙は大好きです。毎日のように手紙を書いて出していますし、最近は自社ブランドのレターセットを作ったので、手紙を書くのがより楽しくなってきました。ハガキ、封筒、便箋、切手は常に携帯していますので(ついでに、ライティングボードも持っています)、電車の中でも執筆することができます。

電話、手紙、メール、ファクス、直接会う…人にコンタクトを取る方法は沢山ありますが、適切なタイミングに適切な手段を選び、コミュニケーションの達人になりたいものです。

 

2008年04月01日 08:49

昨日は、昼間に10月の学校公演でご一緒するダンスチームと合同でプロモーション・ビデオ撮影。J-Clickの皆さんのダンスが素晴らしく、見とれてしまいます。我々も衣装を身に着けて、演奏を撮影しました。このPVは、MTVでは流れませんが、you tubeで放映されるかもしれません。

収録後、シナリオ会議。どのように演奏者が登場し、ダンスが登場するか、演奏者とダンスの饗宴について等の構成を決めました。非常に充実した内容の会議で、早くも10月の公演が楽しみです。この公演を皮切りに、来年は中高校での公演を多数企画し、大勢の生徒さんの心に残る仕事をします。

晩は堺カルチャーでのティン・ホイッスル教室。体験の方が見えました。生徒さん達もお馴染みになってきたので、レッスン後に近くのイタリアン・レストランに食事に行きました。皆さんを寄り身近に感じることが出来て、これから更に良い授業をするよう、気持ちが引き締まりました。

細かいお話は省きますが、時間は資産です。もしティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートを習得したいと思ったら、独学でもできることはできますが、レッスンに通うことが時間の有効活用になります。無駄な寄り道や挫折をすることなく、一定のレベルまでは引き上げられるのです。
レッスン中の楽しみ以上の価値を見出して頂きたいと思っています。もちろん、no secret!僕が知っていることはすべて、惜しみなく提供する姿勢でいます。

いつもこのブログでは誤字・脱字があって読みづらく、すみません。いつも、パソコンの使用制限時間のなかで優先すべきことを優先していると、ブログにかける時間が10分くらいしかなくなってしまいます。それでも取りこぼしている仕事もあって、処理速度を更に上げる方法を試行錯誤しています。

今日も時間とお金を無駄に使うことなく、良い一日をお過ごしください。

 

2008年03月26日 08:48

晴れた土曜日の朝。気分が良いのでお昼ごはんは妻と近所のお好み焼き店に行くことにした。一般的なファミレスくらいの大きさのチェーン店で、以前に何度か行って気に入っていたお店だ。しかし、結果的に、とても不愉快な気持ちになってしまった。

11時半の開店と同時に入店。お客様第一号だった。表にランチあります、とノボリが立っていたので、じゃあ、ランチを、と店員に言うと、若い男性の店員がメニューを持ってきてくれた。急いでいたのでその場で注文。しかし、しばらくして、女性の店員がやってきて、無愛想に違うメニューを差し出し、「ランチは平日のみですので、こちらからお願いします」と伝えられた。おいおい、そういう場合はさっきの男性店員が来てお詫びするもんじゃないの、と思ったが、注文をしなおした。

このお店は、注文した料理が届くまでスナックが出される。それをポリポリやっていると、すぐ無くなってしまったので、女性の店員に「これのおかわりって出来るんですか。」と聞くと、「はい」。と言って、どこかに行ってしまった。10分くらい待ったがそのまま別の用事をしている様子だったので、完全に忘れられている…と思い、「さっきおかわり頼みましたが、まだですか?」と聞くと、無愛想に運んできてくれた。

僕達が食事中に、新しいお客さんが入ってきた。しかし、気づいている厨房の男の店員は、知らん振り。まるで、ホールスタッフの仕事は自分には関係ないと思っている様子だった。お陰でお客さんは空いているのに待たされている。

極めつけは、届いたお好み焼きに髪の毛が入っていたこと。店員にクレームをつけると、その店員は詫びずに、「はい。少々お待ちください」とだけ言われた。しばらくして店長が詫びに来た。不愉快なことが重なったので、さすがの僕も文句を言ったけど、結局はその代金はタダになった(当然だ!)。

アルバイト店員には、目の前のお客様が自分のお給料を払ってくれるのだ、という想像力はないのだろうか。自分は自分のサービスだけを提供していれば、それで問題ないと思っているのだろうか。アルバイトを使わないとやっていけないのはどの店も一緒だけれど、アルバイトだからといってお客様に甘えるようなことは、あってはならない。

似たような例がある。
とてもひいきにしているレストランがあった。そこはフレンドリーな接客が人気で、料理も美味しかった。当然、週末などは入店を断るほど繁盛していた。しかし店長が入れ替わってから、スタッフの質が落ちて、接客が無愛想になり、料理がまずくなり、雰囲気が悪くなり、おまけに値段も上がってしまった。これで常連のお客様が納得するはずがない。結局、そのお店は週末でも閑散とするようになってしまった(当然だ!)僕は何度か店長に忠告したけれど…。

結局は、指導者(ここでは店長)の指導力不足なのだ。志が低いのだ。そして、お客様をなめたサービスを提供するお店は、やがては潰れてしまうだろう。

ちょっと別の話をしようかな。

前に住んでいた家のお隣に、よく分からない会社が引っ越してき、事務所に使っていた。何しろ引越しの挨拶がなかったので何をしている会社なのか良く分からない。あるとき、うちのスペースにタバコの吸殻が落ちていた。どう考えても隣からしか捨てられないような場所に、だ。
それで文句を言いに行くと、「なんか証拠でもあるんかい!?」と、食って掛かってきた。誠意のない対応だった。その会社はもう、そこには無い。つぶれたのかもしれない…。

今の家のそばに、半年前に居酒屋ができた。僕は絶対行かないような店構えだったけれど、あるとき料理に大失敗し、出かける用事があって急いでいたので、やむをえずそこで夕食を食べた。案の定、これでお金取るか!?という内容の料理が出てきて、僕は食べ残してしまった。そのお店はつぶれて、今は貸し店舗になっている…。

この二つの例からわかることは「クレームに誠意を持って対応しない」「お客様の満足するものを提供しない」お店は、例外なく潰れるということだ。

サービスを提供する人間は、これの間逆のことをすれば良いのではないだろうか。つまり、志を高く持ち、スタッフを高く教育し、お客様の満足を追求し、お客様からのお叱りには誠意を持って対応するのだ。それを徹底すれば、きっと繁盛するに違いない!

そんなこと、いっぱしの経営者であれば分かっているだろうけど、それが出来ていないお店や会社がいかに多いことだろう。お好み焼きの件は不愉快ではあったけど、僕の仕事の上でも参考になる体験でした。

 

2008年03月23日 15:52

昨日、アメリカにフルート代金の支払いを済ませてきました。ブログで何度かご紹介した、200年近くも昔のロンドンの名工"Rudall and Rose"による柘植のフルートです。良い状態で現存する楽器が少なく、正直なところ博物館ものかもしれません。もちろん、日本の店舗にないばかりか、マーケットに殆ど出回らないレアな品物です。

こういう巡り合わせはご縁としか言えないと思います。ただ、僕には信念があります。それは、「本当に欲しいと心から願えば、それは絶対に手に入る!」ということ。聖書にある「求めよ、さらば与えられん」です。

3年前に、今の手帳を使い始めたときに、十数個の手に入れたい物のリストを作りました。そのリストは「フルートケース」と「革の手帳」を除いて、現在すべて手に入れることが出来ました。中にはお金で買えるものも、買えないものもありました。
「フルートケース」と「革の手帳」が現在手に入れられていないのは、本当には欲しい!と思っていないからだと思います。ちょっとでも心に緩みがあると、手に入りません。

求めていると手に入る!という経験がこのごろ3つありました。

今年に入ってから我が家のテレビが壊れてしまいました。DVDを見るのにテレビが必要だったので、テレビも欲しいものリストに入れていました。どうせ買うならテレビ付パソコンにしようかとお店に見に行ったりもしたのですが、先日法事で母に会ったときに、母のお古をもらえることになりました。

妻はずっとオーブン付レンジが欲しかったのですが、妻の実家のオーブンレンジが壊れたので買い換えたところ、壊れていたはずのレンジが蘇り、1個余ってしまったために、古い方をもらえることになりました。

僕は自宅教室に伴奏用キーボードが欲しかったのですが、生徒さんにその話をしたら、お借りできることになりました。ひょっとしたら譲ってもらえるかもしれません?!

欲しいものを、人にそれとなく言い続けるのも良いかもしれません!?

今のところ、欲しいものリストに入れるべき品物がないくらい、豊かになりました。
もともと、妻も僕もそれほど物欲が無いというのもありますが…。

今使っている自作の「欲しいものシート」です。今日は特別に公開しちゃいます!
これがすべて埋まるくらい信念が強ければ、あなたも必ず欲しいものを手に入れられることでしょう。

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使い方は明日。ぜひ、欲しいものを書き込んでみてください。

 

2008年03月12日 22:47

昨日月曜日は、自分で設定した休日。

自分でビジネスをしていると、自分の好きな時間に好きなだけ働ける分、逆に仕事に振り回される結果にもなりやすい。誰からも縛られないから、むしろ自己管理しないととんでもないことになってしまうのだ。

去年の今頃の僕はお酒を飲みながらパソコンの前に明け方まで座っていて、最後のほうは仕事のつもりが脱線して、という時間の浪費を繰り返していた。去年暮れにパソコンの使用時間を厳しく制限するようにしてからは、できる時間にやるべきことを仕上げるように目的意識をもって取り組めるようになり、練習時間も妻との時間も増え、効果は絶大だった。

この春からは、「休暇」を導入しようと思う。月曜日にレッスンなどの仕事を入れないで、パソコンの使用時間は午前中のみとし、午後はそれ以外の有意義なことに使うのだ!昨日は以降期間の1日目。晩に予め入っていたレッスンがあったものの、昼間は妻とバトミントンをし、思う存分読書をし、練習もし、晩御飯をゆっくり食べ、DVDで映画も見た。布団に入るときに、これ以上の幸福はあるだろうか、今借りに心臓が止まっても、今日は後悔しない!というくらいの充実感だった。非常によいリフレッシュになった。自営業やSOHOの方には、休日を自分で作ることを、お勧めします。

さて、我が家をちょっと紹介します。僕達夫婦はこの家を本当に気に入っています。長い間引っ越す予定はありません。

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家の概観。2階建て3LDKで、家の東に大きな窓があり、日の光がとってもよく入るのです。


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玄関は家の顔です。花をよく飾り、お香をたくように習慣付けています。

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昨日、お隣からイカナゴの釘煮を頂きました。即座に晩御飯に用意していたピザを半分お返ししました。こういうお付き合いも嬉しいものです。

あなたの住む家を最高のものにし、愛しましょう!

 

2008年03月11日 08:47

昨晩DVDで見た映画です。

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"59年、ニューイングランドの全寮制学院を舞台に、学生たちの愛と生、そして死を描くドラマ。製作はスティーヴン・ハフトとポール・ユンガー・ウィット、監督は「モスキート・コースト」のピーター・ウィアー、脚本はトム・シュルマン、撮影はジョン・シール、音楽はモーリス・ジャールが担当。出演はロビン・ウィリアムス、イーサン・ホークほか。"(映画gooより)

青春ドラマですが、役者たちの演技がとにかく良く、ストーリーにも共感したり感情移入するところが多くて、良い映画でした。高校生くらいの子にはぜひ見てほしいと思います。

この映画で特に惹かれたのは、「すぐに行動を起こし、いつ死んでも悔いの残らない人生にしよう」、そして、「誰にも素晴らしい個性、才能があり、それは本人が気づき、磨くことで花開く」ことです。

昨日の服装についての日記で書きそびれたことですが、僕は高校生の頃、大変な外見コンプレックスを持っていて、これでは人前に恥ずかしくて出られないと思っていたし、女の子に振られると外見のせいにして、余計に傷ついていました。

今なら僕は、「誰もが美しい原石を持っている」と確信を持っていえます。流行の顔やスタイルは確かにあります。「ダサイ」というのは、その人の個性と流行がマッチしていないだけのこともあります。
しかし、人は自分を知り、ありのままを受け入れ、流行や他人の好みを基準にするのではなく自分のしたいように内面・外見を磨けば、その人に似合うスタイルが必ず見つかり、誰もが光るのだと考えます。

顔の表情や清潔にしているかなどを含めて、外見というのは内面の現れです。外見を悔やんだり、変えることに必死になる前に、ひとステップ。自分を知ろう!高校生の僕に、今ならこうアドバイスするでしょう。

 

2008年03月10日 08:42

あなたは、どんな服が好みですか。

どんな色が自分に似合いますか。

20歳くらいまで、僕はファッションに殆ど興味が無かったし、自分の服装について無頓着に生きてきました。服の形や素材や種類について余り知らなかったし、どんな服装が似合うのかなんて考えたこともありませんでした。その頃着ていた服といえば、黒、紺、茶などの暗い色調。その時々で安売りの(言ってしまえば、「自分が着たい服」ではなくて、「店が売りたい服」)を着ていました。

そういえば両親とも「とても」オシャレだというわけではありませんし、どちらかといえばあまり服装に頓着しませんでした。服を一緒に選びにいくときも、派手だったり奇抜で個性的なものよりも、長持ちして、体に合っていて、どこにでも無難に着ていけるものを選ぶようにアドバイスされていました。

20歳くらいから服の趣味が変わったのは、自分でなく、お洒落な女性に服を選んでもらうようにしたことがきっかけでした。当時の自己イメージは低く、「自分にお洒落は似合わない」と思っていたし、「地味な服でもいい」と考えていました。しかし、自分のことを高く評価してくれるセンスの良い女性の視線で選んでもらえると、「黄色だって似合うんだ」とか、「タンクトップや花柄シャツも着ちゃえるんだ」と、新たな発見があり、それと同時に自信が高まっていきました。お洒落するのって楽しい!と知った瞬間でした。

結婚してからも、何度か友達の女性に買い物に付き合ってもらったことがあります(もちろん、妻の公認で)。新たな服を買うと同時に、自分のイメージに合わなくなった服はどんどん捨てました。

先日、妻と自己イメージの棚卸をし、今後どういうイメージで行きたいのかについて打ち合わせをしました。ネガティブな発想は排除し、徹底的にポジティブに考えました。
そして、似合う形や色について雑誌モデルを見ながらイメージを固め、実際に妻と服を買いに出かけました。この作業により自己イメージはかなり確立し、今後はスタイルに迷うことがなさそうです。

その際に参考にしたのはこの本。図やイラスト付きで非常にわかりやすく、自分に似合う素敵なファッションが見つけられるかと思います。(※このサイトでは、僕の気に入った商品を紹介していますが、「本を売る」のがサイトやブログの目的ではありませんので、誤解しないでくださいね!)

私達が認知できる世界は、二つ。
それは、自己と、自己をとりまく環境(世界)です。

世界を知ることはもちろん大事ですが、もうひとつ大事なことは自己を徹底的に知ること。

自分はどんな人間なのか?

何が好きで、何が嫌いなのか?

何が似合い、何を食べ、何をして生きて生きたいのか?

どんなことを、なぜ、いつ、どのようにしたいのか?

服装はほんの一例としても、シンプルな生き方とはつまり、自分のことを徹底的に知り尽くし、自分の行動や環境を、自分にとって最適な状態にチューニングすることだと考えています。

自分の好きなものを知り尽くし、日々それを求め、「本当には好きではないもの」「本当には必要のないもの」を身の回りから排除すれば、家はすべてが愛着のある必要なもので溢れ、最高に居心地の良い空間になります。

服、食べ物、住む場所、付き合う人、時間の使い方、お金の稼ぎ方、使い方。
すべてが最適化されれば、人はストレス無く生きられると思うのです。

僕のブログを読んでくださっている皆さんには、そういった世界への僕の探検をご紹介し、皆さんの生活改善の何らかのヒントになれば幸いです。

 

2008年03月09日 07:23

ここ数ヶ月で、「変わろう」と思ってから、いろんなことが急激に変化し、内面も変わりつつあります。変わりたいと思う気持ちがあり、行動が伴えば、人は変われるものだと、信じています。

変わったことといえば、舞台にかける気持ち。

先日のソロ・コンサートやフィドル倶楽部でのコンサートでも、お客様の半分は、教室の生徒さんやお知り合いの方で、残り半分はお顔を存じ上げないお客様。楽器をしていない方が大半です。
以前は違いました。殆どが愛好家・演奏者ばかり。終演後のセッションを楽しみに来て下さる方も多かった。殆ど、「内輪の発表会」状態でした。
もちろん、今でも楽器をする方には自分の演奏を聴いて頂きたいと思っています。何かしら、刺激になればと思います。しかし、本当に聴いて頂きたいお客様は、実は普段アイリッシュもフルートも良く知りません、という方です。
そういう方に、小難しいことを考えずに、ただ僕が美しいと思うメロディに心を打たれ、僕が良いと思うリズムに足を動かして欲しい。そんなことを考えています。

過去にプロ音楽家とアマチュア音楽家の違いについて深く考えた時期がありましたが、今なら明確な回答が出せそうです。そのひとつに、アマチュアは自分のために演奏し、プロはお客様のために演奏するというのがあります。

アマチュアの方にも中にはプロ並に上手い方はいます。そして、プロ並に研究熱心で勉強されている方もいます。しかし、自分の研究の成果を出したい、自分のやりたいようにやりたい、自分を理解して欲しいという意識では、プロとはいえないように思います。

確かに研究や練習は大切ですし、僕自身、日ごろの努力を認めて欲しいと感じることも、ままあります。以前の僕は、ステージでやたらと「説明」して、「理解」してもらおうと思っていました。しかし、勉強したことを披露して喜んで頂ける方は、マニアか学者に限ります。そういう方ではなく、普通のお客様に楽しんで頂きたい。
言葉に過剰に頼ることなく、音楽や演奏振りで、お客様に何かを伝える、感じていただく、楽しんでいただく、そういう意識を持ちたいと思います。

本当にお客様にステージに来ていただき、ステ-ジを楽しんで頂き、その関係をずっと維持したいのなら、お客様と知り合いになるのが一番だと思います。つまり、ホームパーティを開くときのホストのように振舞うのです。招待状を送り、会場までの案内をし、お客様に思いっきり楽しんで帰って頂き、その日のうちにお礼状を出すのです。そうして、お客様一人ひとりの個性や考え方に触れると、お客様みんな友達状態。もう舞台は怖くありません。

先日のフィドル倶楽部では、大勢のお客様を前に、開演後しばらくは緊張しました。しかし、途中で冷静になり、「今日は、お客様に思いっきり楽しんで、良い一日だったねと満足しながら床に就いてもらえるために、僕はここに立っているのだ」と考え、それからは緊張も力みもしなくなりました。

ステージでの演奏家の役割とは、「お客様に魔法をかけること」だと考えます。

お客様は、生演奏という非日常空間を体験して、いろんな想念を抱いたり、人によっては夢の世界に行くことを期待しています。演奏上の失敗が許されないのは、「間違ってはプロらしくない」とか、「テクニックが完全でないといけない」からではなく、失敗によってお客様の魔法が解け、日常空間に引き戻されるからです。

魔法にかかり続けて頂くためには、演奏中だけではなく、衣装、舞台演出、MCの場所やトークの内容、チューニングのタイミング、さりげない演奏者へのステージドリンクの準備にも気を配り、準備を完全にしないといけません。まだまだ不完全ですが、先日のコンサートでは良い気づきを得ることができました。

音楽家は、魔法使いなのだと。

子供の頃夢見た魔法使いに、僕はなっているのだと、今日も嬉しく思っています。

いつも応援してくださりありがとうございます。

 

2008年03月04日 13:24

月曜日は、朝に自宅レッスン。

昼間は、秋に西宮で予定されている高校の芸術鑑賞公演について、イベント会社の担当者とダンス・チームのリーダーと梅田で打ち合わせ。数百人の生徒さんに見て頂くことは僕には初めてで、どのようにしたら飽きられず、楽しく、学習にもなる内容を作れるか、それぞれが意見しあい、建設的で有意義な時間となった。
若いイベント会社の担当者はとても協力的で、普段の公演の様子や、他のグループが苦労したり工夫したりしていることを率直に教えて頂けた。ダンスのリーダーの方も、いかに魅せるかについての豊富な経験を語って頂ける。僕は経験が浅いけれど、アイデアの種をまいてみる。打ち合わせって、なんて楽しいんだろう。
3者お互い立場は違うけれど、今回はひとつのチームだと僕は思っている。目的はとにかく生徒さんに感動して頂けるものを作ること。今回だけで収支をみるのではなく、完成度の高いものが出来れば、次につながる可能性が開けるのだ。

その担当者と待ち合わせていた時に、梅田でホイッスル講座の生徒さんの一人で、若くして会社経営をされている方とばったり出会い、これも何かのご縁と夕方にオフィスにお伺いした。僕がいま考えている仕事のアイデアやPR作戦について時間を割いて聞いて頂き、素晴らしいアドバイスやご指摘を次々にいただけた。僕は自分ではちょっとしたアイデア・マンだと思うけれど、僕に足りないのは細部を詰める細やかさ。この方にはどんどん思いついたことを聞いてもらいたい!

帰宅後、夜は自宅レッスン。自宅まで通ってくださる生徒さんは、モチベーションが高い方が多く、皆さんどんどん吸収して確実に成長されているのでとても嬉しいです。

火曜日はカルチャー講座。講師をして1年たったけれど、こちらこそ、毎回勉強をさせて頂いています。とにかく、皆さんに音楽を楽しんで頂き、皆さんの目的を達成するお手伝いをすることが僕の役割。
1年間で、残念ながら辞めていかれた方も多かった。辞めるからには何か理由があるはず。「去るもの追わず」で考えないという講師もいるだろうけれど、今の僕は徹底的に考えてみたい。
考えることが、講師としてさらに成長し、より多くの方に喜んで頂けるようになるのだ。

それまで、ただやりたくてやっていた「演奏・教室・普及活動」の3つが、お互いに絡み合いながら相乗効果で回る様子が、想像できるようになってきた。この仕事は面白い。工夫すればするほど、成長すればするほど、キャパシティが増え、収入に反映されていくのだ。
現状が困難でも、逃げずに、やりきること。そうすることで道が拓けるのだと信じて、目の前の仕事に誠意を持って取り組むことを、改めて確認しました。

 

2008年02月26日 08:27

いよいよ明日、コンサートの日となりました。

こんなにしっかり計画したのは本当に始めてくらいかもしれません。3ヶ月前に準備を始めたのに、あっという間でした。練習が気になる箇所があったりと、もっと計画をしっかり立てて取り組むべきだと、もう次回に生かすことを考えています。

1週間前から、風邪だけは引かないように気をつけてきました。どんなに忙しくても23時には仕事を切り上げる、朝はちゃんと食べる、帰ったらうがいと手洗い。生姜やみかんを沢山摂る、ビタミン剤も飲んでいます。おかげさまで、風邪は引きそうにありません。というか、今シーズンまともに風邪を引いていません。

どんなに準備をしっかりしても、技術を磨き上げても、体調不良でベストパフォーマンスを出し切れないのであれば、それまでの準備はしていないも同然です。音楽家に限ったことではありませんが、会社員であれなんであれプロと自覚するのであれば、ここ一番での体調管理は当然だと、襟を正しました。

同時に、メンタル面での充実も考えるべきです。こういう時こそ、こちらの緊張が伝わり、周囲と摩擦を起こしやすい状態になっています。家族や友人に対する接し方にも気をつけ、また、マイナスを寄せ付けないようにしないといけません。

今回は「無料のパブ・ライブ」を、「成長する格好の機会」に変えてしまった、我ながらうまいことを考えたものだと思います。まだ終わっていませんが、来年もこのような機会を企画したいと思っています。

 

2008年02月22日 08:33

今回のソロ・コンサートでは、自分の好きな曲「だけ」を、納得いくように演奏するのだ、と目標を定めていた。しかし、いざセット(メドレーのこと。)を組む段になって、好きな曲「だけ」で構成されたセットは、とてもつまらないものになってしまうことに気がついた。

理由を考えてみたのだが、好きになる曲というのは傾向が似ている。だから組み合わせると似たような雰囲気の曲ばかりになってしまい、変化に乏しくなる。それに、どの曲にも思い入れがあるので、どこが聞かせどころなのかがぼやけてしまうのだ。「好きなものだけ」というのは危険だと思った。

好きな人とだけ付き合う、好きな本だけ読む、好きなCDだけ聴く、やりたいことだけやる…とても素敵に響くけれど、いろんなタイプの人とつきあったり、好きではないけれど必要な本を呼んだり、一般的に人気のあるCDを聞いたり、気が進まなくても必要なことをやったりすることも大切なのだ。料理にも、「箸休め」や「付け合せ」があるではないか。

引き立て役がなければ、主役は輝かないのである。これは、大きな学習だった。では、いかに「優れた引き立て役」と「必要のないもの」を見極めるかだ。

そんなわけで、いよいよ来週のコンサートに向けて、セットを若干組み替えている。

アイリッシュ・フルート奏者として、自分だけの山に登りたい。
ソロ・コンサートという自分にはちょっと高いが、頑張れば達成可能なハードルを課して、ポッドキャストに曲を公開していく…この目標設定は、われながら素晴らしい思いつきだと思った。おかげさまで、日々目的と目標を持ってキビキビと充実して過ごせるようになったし、練習時間がぐっと増え、集中力も上がってきた。記録としても残るので、毎年この時期の恒例にできればと思っています。ライバルは、間違いなく、自分だ。応援してくださる方々に、今日も心から感謝しています。

 

2008年02月14日 08:43

特にアポイントや仕事が立て込んでいるわけではない日も、いつも慌しいのはどうしてなんだろう?と思い、自分の時間の使い方を監査してみます。2月5日(火)はどんな一日だったかと言うと…
この日は、固定した仕事はカルチャーセンターだけ。あとは自分の裁量で出来る仕事が詰まっています。

7:00 起床。本当は6:00起きの習慣にしたいけれど、
   前日が遅かったので…シャワーを浴びる。
7:20 町内をジョギング。
7:40 朝食を用意
8:00 パソコンを立ち上げ、朝食を食べながらメールの返事を書く。
   メモリ増設を試みるも出来ず、調べたりする。
9:00 朝の家事の時間。風呂掃除、ゴミだし、食器洗いほか。
10:00 トラヴェルソの練習開始。テレマン2曲に取り組む。
   うーん、むずかしい!2時間集中。
12:00 英会話講座。昨日できなかった分の録音とあわせて、30分。
12:40 ボーダーパイプ(バグパイプ)の練習20分。
13:00 昼食を取りながらDVD「クリムゾン・タイド」を鑑賞。
14:00 妻のアイリッシュフルートの練習に付き合う。
15:00 パソコン作業開始。万笛博覧会の企画書を書いたり、
    3月の公演のチラシを書いたり…
17:00 アイリッシュフルートの練習。ソロコンサートの曲目をざっと吹く。
18:00 夕食。
18:30 電車で京都へ移動。ウェブ関係の本を読みながら。
20:00 カルチャー講座60分
21:15 webデザイナーさんとサイト改良の打ち合わせ。
23:20 最終急行の乗り、手帳を整理しながら24:30に帰宅。
~1:40 夜食を取りながら、トラヴェルソの先生のコンサートDVD視聴。
 本当に、何度見ても素晴らしい。ついつい最後まで見てしまう。
今朝は7:40起床。

この日は暇な方でした。個人レッスンがたくさん入ったり練習に出かけるのが普通です。時間管理については、まあまあのパフォーマンスだと思うのですが、午後になると急ぎの用が入ったりして、どうしても練習時間が圧迫されやすいのが不満点です。実際、ソロコンサートのための練習は(トラヴェルソも含めて)3時間しかできませんでした。事務的作業や家事をいかに短時間に済ませて、午前中のうち集中して練習できるかが鍵となります。

さて、今年から活用している道具「タイマー」を紹介します。

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なあんだ、タイマーかと言う事無かれ。ヨドバシカメラで買ったもので、4個まで別々のタイマーがセット可能です。僕は5分、15分、60分、6時間としています。6時間は睡眠用タイマーで、寝る直前にセットします。目覚まし時計よりも正確に睡眠時間を管理できます。
15分は、ブログ執筆や読書などに。1件の執筆は必ずこの時間内に終わるようにします。5分は、短い作業に。練習では、15分タイマーで基礎練習のメニューを組んでいます。ロングトーン15分、運指15分、といった具合です。運指練習などは、はまると次に進まなくなるので、色々な項目をまんべんなく練習したい時はに重宝します。曲でつかえるところは5分タイマーで5分間みっちり練習します。5箇所つっかえるところがあれば、5分×5箇所=25分間という計算です。それでもつまずくなら、5分を繰り返します。

タイマーのお陰で、時間あたりの集中力が格段に上がりました。時間内に出来る作業量を決めておいてスタートするので、サボったり、わき道に逸れる暇がなくなりました。おすすめです。

時間管理についての金言。

・いかに沢山のことをするかではなく、いかに「しないで済ませられるか」を考えよう。(中谷彰宏)
・時間は管理できない。管理できるのは自分の行動のみだ。(フランクリン・コヴィー)

 

2008年02月06日 08:22

ウェブ・デザイナーの宮田さんと打ち合わせをしてきました。

このサイトが稼動しはじめて1年。最初の半年は更新がマメではありませんでしたが、今年の目標は毎日記事を書き、カレンダーをすべて埋めることです。このホームページは、対面営業が苦手な僕に代わって、みごとに役割を果たしてくれています。アイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルについての記事、曲などはもちろんのこと、僕の考えたこと、ライフ・スタイルも発信でき、読者との距離が縮まっていると感じています。2年前に企画書を提出し、こちらの無理な要望を聞き入れて作業してくださった宮田さんには心から感謝しています。ありがとうございます。

と、同時にこれからの課題も見えてきました。ほとんどの音楽家がそうですが、僕はこのサイトを自分の宣伝にしか利用してきませんでした。自分の演奏活動や商品を紹介するには、充分役に立ちました。しかし、アイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルという認知度の低い狭い世界で、一人気を吐いていても同業者との小さなパイの奪い合いに陥るだけです。それよりは、利用者の利益を最大限に考え、国内のアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスル奏者の活動も積極的にここで紹介していくことが、国内でのアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルの認知度を高め、日本人演奏家の国際競争力を高め、しいては長期的に見ると僕自身にも還元されると考えるようになりました。

以前から持っていた「アイリッシュ・フルート・ウェブ・サイト」も、もとはそのような目的で立ち上げたのでしたし、「万笛博覧会」も、ジャンルを超えた笛文化のプロモーション活動です。

今後は、自分の活動だけではなく、アイリッシュ・フルートに興味のある人がここに来れば内外の色々な動向がわかるよう、メルマガ・ブログ・ホームページ全部において、ニュース配信やデータベース化を重視していきたいと思っています。

春頃からそのような活動に切り替えていく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

2008年02月05日 08:53

 いつも考えていて、考えがまとまらず書けないテーマです。

おそらくひとつの日記としてはテーマが手ごわすぎるので、色々な問題定義をして徐々に明らかにしていきたいと思います。これは、あくまでも自分の主観に基づき自分のために書いているので、あまり鵜呑みにしないでくださいね。ご意見などお待ちしています。

 先ほどまで、2月23日のソロ・コンサートの選曲をしていました。

アイリッシュやスコティッシュには膨大な数の曲があります。ダンスがしやすい明確なリズムを内包した曲や、メロディが美しい曲や、技巧を凝らした曲や、個性的な旋律を持つ曲など、それぞれに魅力があります。そして、この曲はこう弾くものと決まっているわけではなく、奏者が「感じる」ものであり、演奏の仕方によっては全く違った魅力が出てくることもあります。

 では、クラシック奏者のように(?)曲の持つ魅力を最大限引き出すのが奏者の役割なのかと言うとそうではありません。ダンスの曲はダンスのためにあるのです。究極的には個々の曲は何も表しておらず(標題音楽ではない)、「ノリ」を出して演奏することが最重要とされます。

 果たしてそうなのでしょうか。

ダンス曲が、ダンスのためだけに存在するのであれば、こんなに沢山もの曲は要らないはずです。リールであれジグであれ、どの曲も踊れることに変わりはないのですから。

 僕は、ダンス曲である以上ノリを大事にするのは大前提として、その曲の持つリズムや雰囲気や情感を引き出してやらねば、何を弾いても一緒のように思います。

 以前は、たくさんの曲を知っていて、それらを上手に弾けることが良い奏者の条件であると思っていました。何千曲という曲は、だてに何世紀も継承されてきたわけではありません。やはり、よい曲だから、譜面に書かれずとも現代まで引き継がれたのです。

しかし、一人の奏者の覚えられる曲数には限界があり、奏者と曲の間にも相性がある。自分の雰囲気に合う曲、自分の演奏スタイルに合う曲を選ばなければと思うようになりました。

 今度の曲は、いわば僕のこれまでの音楽人生のベストテンのようなもの。

自分のキャラクターを表してくれるような本当に良い曲か?

生涯忘れずに弾きたいと思うような本当に好きな曲か?

お客さんに何を聴いてもらいたいのか?

聴いてどんな気持ちになってほしいのか?

これまでに無かった発想で臨んでいます。

 

2008年01月10日 17:41

まずは下記のページを読まれたし。
「教えてgoo」より。

僕も質問者のように思ったことが正直何度もありますから、質問者の気持ちは非常に良く分かるのですが、それに対する回答者の色々な立場・意見が面白いですね。

それにしても、鬱病を患っている可能性のある人に「働かない人には社会的価値はありません」と切り捨てる回答者はいかがなものかと思います。

さて、彼が問うているように「仕事が出来ない=生きる価値が無い」でしょうか?
ここでは、家事労働も含めて考えることにしましょう。

働ける年齢になっているにも関わらず働いていない人はたくさんいます。本人の意思で働いていない人、病気や怪我で働けない人、遺産やギャンブルなどの不労所得で暮らす人、生活保護や障害年金で暮らす人。

確かに、直接的に誰かの役に立ったり、感謝されているわけではありません。税金のお世話になっている人の中には、社会のお荷物といわれても仕方ない人もいるかもしれません。でも、「働かざるもの食うべからず」では、これらの人は皆死んでしまえ、という意見になりませんか。

そう、ナチスドイツでは優性政策をおしすすめていたんでしたっけ?

今の世の中の風潮が、競争をしろ、弱いもんは這い上がれ、となっているように思えます。
努力は尊い事です。そして、努力して成功した人は素直に認めるべきです。
しかし、自然界を見てもわかるように、集団には一定の数で必ず、弱者がいます。
弱者に生きる価値無し、それでは息が詰まります。

みんなそれぞれに、生きる価値があるのだと、僕は思いたいです。

こういう悩みを抱えている方は、加藤諦三の「自分のうけいれかた」や飯田史彦の「人生の価値」をぜひ読んでいただくことをお勧めします。きっと心が軽くなることでしょう。

 

2008年01月08日 08:53

友人(といっても一回り年上)のご夫妻が経営している建設会社が年末で猫の手も借りたい状態、とのことなので、お嫁さんと一緒に手伝ってきた。久しぶりの事務作業のバイトである。手伝いに行ったのは、会社設立の経緯や事務のノウハウをちょっとでも見てみたいと思ったからだ。

ここは舗装を専門に高卒で20年間やってきた旦那様と、外資系の会社の社長秘書をやってきた奥様が今年設立した会社で、役員のご夫妻を除くと社員数1人+アルバイト(かな?)と小規模だけれど、とても繁盛している様子だ。作業の内容は書類作成と伝票の整理なんだけれど、たくさんの刺激を受けて、その後で色々なことを考えた(仕事が終わるまでは忙しすぎて全然余裕がなかった…)。

いまさら言うまでもないが、世の中の頭脳明晰で仕事がものすごく出来る人というのは、学歴とは一切関係なく存在する。70年代に生まれた僕達には終身雇用や学歴社会というのは高校を出るくらいまではしっかりあって、それを支えていたのは高学歴→高収入というレールが前提だった。今こんなことを言おうものなら鼻で笑われてしまうだろう。僕もまたそれを信じて一生懸命に勉強を頑張ったタイプだ。

でも、現在は高学歴のフリーターが世にあふれているし、大学院に行っても就職難が深刻だ。それよりも中卒や商業高校卒や専門学校卒で手に職をつけている人のほうが数倍も稼いでいる。大学生だけど信じられないくらい未熟な子もいるし、学歴って見栄と趣味の問題なんじゃないかと真剣に思う。今、自分のお金で社会人学生として大学に入れたら学費をどれだけ有効に使えるかわからない。

良く中卒の社会人は「自分は学が無いから…」という。先日もある漫才師が本にそう書いていた。でも、学が無い人こそ学習意欲が高くて一生勉強する。それに比べて難関大卒でもう勉強は終わったんだからと気を抜いてしまうと、その差はすぐに縮み、やがて抜かれてしまう。人生の中で学校で学ぶ時間と量なんて、たかが知れているんだ…。

この会社に関して言えば、奥様は社長秘書時代に会社の運営やジムのノウハウを身につけ、結婚後は旦那様に独立を薦めてずっと励ましてきたそうだ。現場のプロと会社運営のプロの2人は、本当にベストパートナーだと思う。どちらか片方では会社にはならなかったことだろう。そして、お二人とも本当に頭が良くて、仕事ができるからここまで出来たのだ。

僕は人の期待に応えるために勉強に励み、こんなことを覚えて何になるんだろう、と疑問を持たずに、言われるがまま期待されるがままに勉強してきた。国語 算数 理科 社会…。社会人になって役に立った知識なんて、本当に少ない。それよりも、常識や生き方やお金の稼ぎ方や使い方を学んでおけばよかった。成績は良くても頭は悪かった、と言われても仕方が無い。でも、今からどうするかが問題なので、後悔はそのくらいにしておきます。

経営者と労働者の差というのにも考えさせられた。

優れた労働者が経営者になれるのではない。志があり頭の良い労働者が経営者になるのだ。この会社の社長のように20年現場をやってきたって、ベテランの職人で一生を終える人もいる。
何十年現場で経験を積んだって、会社登記の方法や税務処理や事務の流れが身につくわけではない。現場で完璧に仕事が出来た上で、さらに時間とエネルギーを使って勉強ができる人だけが、上の立場になる資格を持つのだ。

音楽でも一緒だ。日々のレッスンやコンサートに追われるだけではなく、その上プラスアルファをして自分の価値を高めることができる人だけが、上にいける資格を持つのだ…。

労働者と経営者は世界がまったく違う。労働者は、自分の給料を時給や日給や月給で計算する。いくら目の前の仕事に没頭して成果を上げても、給料は「いくら(時間)働いたか」で計算される。時間をお金に変える世界にいる限り、いきなりものすごく儲かる、ということはありえない。
よく、アルバイトが定時(例えば時計が16:59から18:00に変わる瞬間)になるまでタイムカード機の前で待ってからタイムカードを押す、というのがあるけど、経営者には理解できない発想だと思う。
そういう感覚に慣れてしまうと、自分の価値は時給いくらいくらです、と時間を切り売りしてお金に換える発想になってしまう。そうなれば、たくさん稼ぐのは困難になるだろう。僕も昔はそういう発想だった。

経営者は、ビジネスがまったく儲からないときもあれば ものすごく儲かる時もあるから、時間をかけたら稼げるわけではないことを良く知っている。だから仕事には、ある意味で時間の感覚がない(一方でものすごく時間にシビアだったりするけど…言っている意味、伝わりますか?)。
日々の稼ぎはもちろんだけど、それ以上に遠くのビジネスチャンスを見据えているから、細かいプラス、マイナスでは動じなくなる。そうなると、沢山稼げる可能性も出てくる…。

労働者の視点でいる人は、視点を変えない限り一生労働者で終わってしまう。たとえ資格を取ったりして「優れた労働者」になって、より多くを稼ぐようになっても。

今あるフリーターや派遣労働の雇用問題で深刻なのは、正社員の雇用が少ないだけではなくて、労働者が単純労働や時間をお金に換えるその世界に馴染みすぎて、稼ぐ力や稼ぐための視点を持て無くなっていることでないだろうか。

音楽稼業は、たった一人の自営業者であり、もともと無いところに雇用と需要を創生するベンチャー・ビジネスだ(だって、極端な話自分がなくても世の中の音楽ビジネスは回ってますからね)。

御社の強みはなんですか、御社の企業理念はなんですか、と聞かれてしっかり応えられる商品や体制を作っていきたいと切に思う。

 

2007年12月25日 06:33

今日は午前中と昼、夕方にレッスンが計3件。

最初の生徒さんに、朝早いのはつらいですか?と聞かれた。いいえ、そんなことはありませんよ、大体は午前8時までには起きて、朝ごはんを食べ、お風呂に入り(うちはお風呂は朝にゆっくりつかります)、3日に1回は洗濯をして、家の前を掃き、ゴミを出したりしてから練習しますよ、と言うと、とても驚かれてしまった。音楽家っていうのは夜型だと思われているご様子だ。

習慣の力ってすごい。僕は食後すぐと演奏前には歯を磨くこと、基礎練習(特にロングトーン)、ブログを書くこと、水を沢山飲むことなどを、半ば意図的に続けて毎日の習慣にしたけれど、最初は面倒だったりしたことも、習慣化すると、それをしないと気持ちが悪くなってくる。歯を磨かずに布団に入るなんて考えられない!さらに、散歩や英会話も加えたいなあ。ここが中々上手くいかないんだけど。

今日は珍しく京都のセッションに行った。その帰りの阪急の大阪行きの最終急行で、思いがけず感動する出来事があったので、報告します。

京都の烏丸から電車に乗り、対面ベンチ席(ボックス席ではない)に運よく座ることが出来た。同じ駅で、若いカップルが乗ってきて僕の向かいのベンチに座った。年は20代前半といったところ。男のほうは、女の子の肩に寄りかかっている。甘えているんだろうな。僕は気にせず本を読んでいた。

しばらくして男が、手に持っていたペットボトルを床に落とした。それが向かいにいる僕の足元に転がってきたので、キャッチして、女の子に渡した。その時、男は甘えているのではなくて、泥酔していることに気が付いた。

高槻駅で電車が停車したとき、どうやら彼らの降りるはずの駅だったらしく、女の子が、起こしても起きない男の肩をかついで電車を降りようとドアに歩いていった。ところが、こともあろうにドアの前で男がバランスを崩し、女の子と一緒に倒れこんでしまったのだ。しかも、そのショックで男は吐いてしまったらしい。ドアは閉まり、男はうずくまったまま。衆目を集める中で、女の子は顔を真っ赤にして、困ったふうでひとり男のそばで寄り添っていた。

しばらくして、次の停車駅の茨木で女の子は男をホームに降ろした。普通だったら、一緒にそこから高槻まで戻ることだろう。でも、なんと女の子は電車に戻ってきて、男の吐しゃ物をティッシュでひとり掃除しはじめた。その様子を、誰も手伝うこともなく回りは見ている。僕も何かを手伝いたかったけれど、あいにくティッシュも何もなく…。ふがいなさを感じてしまった。

床を綺麗にふき取ったあとも、女の子はその場を離れず、皆の目を気にせずに次の駅まで立っていた。僕が彼女だったら、まず茨木で男と一緒に電車を降りたと思うけれど、床を掃除したとしても、同じ車両にずっと残れるだろうか…。恥ずかしさで別の車両に行ってしまうだろう。

女の子の責任感の強さと、彼への愛情に本当に感動してしまった。
こんな子は中々いるものではない。そんな苦労かける男は、罰当たりな果報ものだ!お酒をやめて、彼女に尽くすべき。

人間のふとした優しさ、美しい心に触れるとき、思わず泣きそうになるほど感動してしまう。
そして、憎悪や欲や悪意に触れるとき、とても悲しい気持ちになってしまう。

ああ、この世は面白い…。

 

2007年12月18日 00:54

昨日の話題の続きですが、本田健氏の本を読み進めていてその答えがありました。それは、こういったことです。

誰もが、変化を恐れるのだ、それが良い変化であれば特に…。多くの人は幸福のために多くを変えるよりは、平凡な幸せがずっと続くことを望む。やっかいなのは、それを自分ばかりでなく他人にも求めることだ。
飛行機が飛び立つには風がないよりも、向かい風があったほうが離陸しやすいのと同じで、
自分を変えることに対する批判やネガティブな意見は、飛び立つための向かい風なのだ。

ネガティブな意見は、すなわち、長年僕を見て僕を知っている彼だからこその応援の形だったのですね。安心しました。そして、僕はこうした変化の過程を楽しみながら、成就させることを確信しました。

 

2007年12月14日 12:31

「自分の話すことに注意しなさい。普段君が話していることは、君の未来を作る。君が人の悪口、否定的なこと、ゴシップの話をすれば、君の将来はそういったネガティブなもので満たされる。」
本田 健 『ユダヤ人大富豪の教え』 ( だいわ書房 ) p132より

先日、久しぶりにある友人と話をしたときのことだった。僕は、ここのブログに書いてきたように、和歌山に旅行に行って以来(!?)、大変化が起こっている。

これまでの人生と音楽へのかかわり方を心から反省し、変化することを決めた。具体的には、お金にはなるけれど嫌いな仕事、興味がない仕事、やらなくても良い仕事は毅然と断り、自分のお金と時間を大事にし、演奏する曲と共演者を厳選して、自分の本当にやりたい音楽の研究と演奏に集中すること…「選択と集中」を決意した。

それからというもの、お酒を断ち、mixiをやめ、身の回りから不要なものをどんどん廃棄していきった。「お金にはなるけれど嫌いな仕事や興味のない仕事は断ってきた。自分の音楽をお金を払って聴きに来てくださるお客様のために、毎回、妥協せずに最善を尽くすことを決意した。これまで、なんてヤワな気持ちで演奏をしてきたんだろうか。本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいだ。

来年の展望としては、あれこれいろんな相手といろんな曲を演奏してきたことを改め、「これが自分の音楽です!」と言える曲と演奏スタイルを作ることに専念し、それをいつでもベストの状態でお客様に聴いて頂けるように磨きあげることに専念する。そのため、音楽を追求していける仲間(共演者)も1人に絞った。

友人に来年の展望を訊かれたのでそのようなことを話したとき、彼からはこんな言葉が返ってきた。

「たくさんの曲を弾けるのが君なのだから、曲にこだわるようなのは向いていない」

「こだわりというものは生来備わっているものだから、後から考えて作ろうとしても無理だ」

「(僕が共演者として選んだ人)は、自分のスタイルや曲へのイメージがしっかりあるから、伴奏者としてはうまく折り合えないだろう」

長年の友人のこのようなネガティブな言葉に、返す言葉もなく、がっかりしてしまい、それ以上このことに関しては何も話す気になれなくなった。なぜ彼はこのような言葉を発したのだろうか。友人としての助言だろうか。しかし、一体、こんな助言がどんなプラスの価値を生むのだろう。

助言というのは、覚悟がいるものだ。相手の立場に立って、相手の幸福のためにその人が間違った道に進まないようにすることだと僕は思う。そして、どの道に進もうとも、その人の失敗を慰め、前途を応援してあげたい、というのが善意のある助言だ。

ことわっておくと、彼はいつもマイナスの言葉を発しているわけではない。むしろ、逆だとまわりからは思われていると思う。では、彼は、僕のことが嫌いなんだろうか?この段階ではなんとも言えない。

ただ明らかなのは、世の中にはどんなに正しいことや素晴らしいことをしている人にも、それをやっかんだり、妨害したり、嫉妬したり、足をひっぱる人はいるということだ。自分もその立場にいたことがあるから、よくわかる。

そして、やっかいなことに、こういった「ネガティブな意見」は、「もっともらしい助言」の形を取って発される。その言葉が、相手の心のどのあたりから出ているのかをよく考えることが大事だ。

僕は昔から気をつけていることがある。ネガティブなことは口に出さないことと、悪口や噂話はしない、ということ。

「自分は、もうダメだ。」「何をやってもうまくいかない」と口にしていると、自分の前途は暗くなる。
「あいつはダメなやつだ。」と言う人は、自分もそう言われる立場に進んで身を投じている。
奥さんに、「お前の料理はいつもまずいよな」といえば、永遠においしい料理にありつくことは不可能になり、「今日もしょぼくれた顔だな」といえば、どんどん奥さんの人相が悪くなっていく。そればかりか奥さんからの信用や愛情も失われていく…。

言葉というのは、現実になる。

説明するまでもないけれど、こういうことの逆をすれば、どんどん運が向いて、楽しく、幸せになる。

友人の言葉にはとっても落ち込んだけれど、それがバネになって、燃えさかる闘志が湧いてきた。

 

2007年12月12日 06:25

カルチャー講座の帰りに、梅田の紀伊国屋に寄る。読みたい本がたくさんあって、いつも本屋さんでは時間がいくらあっても足りない。

そうそう、本を衝動買いしない工夫を身に着けた。買いたくなった本があったら、その場で本の表紙を携帯カメラで撮影する(本の中身ではないので、店員さんには怒られないはずだけど、この点は確信が持てない)。自宅に帰ってからamazonでその本を調べて、レビューを参考にする。よさそうだったら、マーケットプレイスに安く出ていないかを確認する。時々、恐ろしく安く出品されていることがある(1円とか)。

でも、面白そうでも人生の必携書に値する本はそれほど多くないことに、人生30年近く生きてきてようやく気がついた。それからは、なるべくは読みたい本は図書館で借りて読む習慣に変えた。もし図書館になければ、リクエストをしたら良いのだ。

先日とあるクラシック音楽家のおうちにお邪魔した。クラシックの方は本当に勤勉だ。壁一面に奏法や歴史や音楽学や理論の本がぎっしり。これを見て、僕はあえて逆を行くことを決意した。置いておく本は、絶版しそうな本や楽譜、いつでも必要になりそうな資料にしていこう。

日ごろから金言に出会ったら何かに書き溜めておこうと思っていて、単語帳や手帳など色々手段を考えたけど、ブログにつけたらいいことに気が付いた。これなら、カテゴリーごとに分けられるし、外出中でも携帯からメールできるし。ということで、早速作ってみた。いつまで続くか分からないし、全く私的なものなのだけど、もし良かったら思い出したときに見てみてください。たぶん、3ヶ月くらいしたらそこそこの記事になるかも?

有り余る知的好奇心が僕を苦しめる…。読みたい本や勉強したいことは山ほどある。何より、練習と音楽を最優先にした。人生の時間は短い。「選択と集中」…と、念仏のように唱えて、本屋を立ち去った。

 

2007年11月28日 03:28

今日は千里でのカルチャー講座。月に2回のここの講座は生徒さんもすっかり打ち解けて、リラックスした雰囲気で、とても教えがいがある。いくつもの講座をしているけれど、本当に人間関係は化学反応だと思う。そして、ここの反応はとても良いみたい…!

教室が終わってから、携帯電話がなくなっていることに気がついた。生徒さんも一緒に教室を探してくれたけど、見つからない。地下鉄に乗ったときはメールを使ったのを覚えているから、きっとカルチャー教室への道の途中で寄ったトイレに置いてきたに違いない…と思い当たった。
それで、そのトイレに行くが、もうすでに2時間も経過しているので、あるわけもない。生徒さんに、心無い人に拾われたら大変、とか、警察に届いているかも、とご心配を頂いたけれど、その直ぐ後に寄った落し物センターに届けられていた。

落とした場所も分かっていたので、見つかる確率は高かったのかもしれないけれど、やはり運が良かったと思う。生徒さんの言うように、もし心無い人に拾われていたらどうなっていたかわからない。

運といえば、明日から宝くじが発売になる。あたりが良くでる券売所でくじを買うために一日並ぶ人もいるそうだ。僕はこれまで一度しか宝くじを買ったことがないし、それも興味がなくなったので当たりかどうか見ることもしなかった。が、あたる人は当たる。今年で億万長者が累計5000人になるのだそうだ。ちょっと興味があって、「宝くじの当て方」で検索をかけてみた。きっと、何かしらのテクニックで当選確率が上がることは出来るのではないか、と期待したからだ。

すると、神棚にくじを置くと良い、とか、玄関を掃き清めると良い、とか、およそ宝くじの当選とは結びつかない「げん担ぎ」の情報ばかりで落胆した。確立と結果の集計で、科学的に、どこどこの県は当たりが多かった、どこの売り場が多かった、とはいえるかもしれない。けれど、それは過去のデータなので、今に生かせるとも思えない…当たるときは、どこでも、誰でも、たった1枚のくじを買っても当たるものなのだろう。

これまでの自分は「運」とか「ツキ」とか「流れ」というのを信じてはいなかった。学生の頃だけど、身の回りのある人がある人と喧嘩をして、僕はその人に色々アドバイスをしたのだけど、結局その人は相手の星を占って、「めぐり合わせが悪いので」関係修復を諦めた。僕はその時、そんなことより目の前の問題を何とかしようよ、と思ったのだけど、今なら、その人はそういうものを使って自分の本当には関係修復はしたくないという気持ちを理論づけ(?)ていたのかなと思う。

でも、この頃そういうものがあるのかな、と感じ始めている。習慣や考え方や自分しだいで人生はどうにでも変えられると。それは一見因果が見えないけれど、考えてみれば当たり前のことのように思う(よい笑顔を作っていればツキが来る、とかそういう類のこと)。

やっぱり星占いやジンクスやまじないに人生の選択を委ねたくはない、という気持ちは変わらない。自分の経験と信念で自分なりのツキの呼び方を体得していこう。

 

2007年11月25日 10:52

僕は生まれ変わったらヴァイオリン弾き(それも超一級品の)になりたいと願うくらい、ヴァイオリンが大好きだ。学生の時に、生まれ変わったらと言わずに、今から始めてみたら20年計画くらいで願いがかなうかもしれないと思って、知り合いから中国製ヴァイオリンを譲り受けて弾いていたことがあった。実際に、フルートもフィドルも名人芸的に弾く音楽家はアイルランドに数多い。しかし、笛のように音程が決まっていないので自分の音痴さに苛立ち、運弓も分からないので手放してしまった。先生について習えば少しはましだったかもしれないが、まあ、それほど本気ではなかったということか。

ヴァイオリンにこれほどまでに魅せられるのは、この世のものとも思えないくらい美しい音も、情熱も、乱痴気騒ぎの楽しみもすべて表現しつくしてしまうその余りに人間的で、かつ人間離れした表現力ゆえ。本当に心打たれる音楽に触れる時は、実はフルートよりもヴァイオリンの演奏が多かったりする。それだけに、音程の定まらない、運弓がちぐはぐなヴァイオリンを見ているとなんとも気の毒な気分になってしまう。

昨日、大阪の図書館でパールマン演奏によるパガニーニのヴァイオリン協奏曲のCDを借りてきた。なんともイタリア的な作風にのってヴァイオリンの至芸が展開されるこの曲に、すっかり虜になってしまった。
パガニーニといえば、ヴァイオリン独奏のための「24のカプリース」という練習曲がある。重音や飛ばし弓やピッチカートなどを駆使した超絶技巧練習曲集である。パガニーニのプロフィールを読むと、ヴァイオリンを始めて数ヶ月ですべての曲を弾けるほどのテクニックを身に付け、成人してからは賭博に女好きで、最後は病気で亡くなったという彼自身が、余りに人間的でかつ人間離れしており、ヴァイオリンそのもののように感じる。

中でも、人間離れした演奏振りに悪魔に魂を売ったからではないかと恐れられたり、賭博でヴァイオリンを賭けて負けて愛器を手放してしまったり、芸が盗まれるのが怖くてカデンツァ(即興的な独奏)の楽譜を作らなかったとか、シューベルトが家財道具を売り払ってまで彼の高いチケットを買ったといった話が秀逸である。彼は弟子を取らず、自分の芸を一代で途絶えさせたというが、パガニーニがビデオに録画されていたら、いや、楽譜に書き留められていただけでも、彼はどれほどの影響をこんにちのヴァイオリニストに与えられたか計り知れない。

このCDで演奏をしているのはユダヤ人のイツァーク・パールマン。現代を代表するヴァイオリニストである。彼は若い頃に下半身不随になり、車椅子で演奏活動をしているが、その演奏は五体満足なヴァイオリニストよりも、自由そのものだ。日本人でも色々なヴァイオリニストがいるけれど、僕がテレビで始めて見たその時に一瞬で心を奪われたのは川畠成道さん。彼も、目が見えないにも関わらず、ぞっとするほど美しい音色を奏でる。パガニーニは背が低く醜悪で病弱だったと伝わっているが、そのことと才能の関係にはとても興味がそそられる。

フルートと実に相性の合うヴァイオリン。これからも沢山のヴァイオリニストと共演する機会があると思うけれど、いつも彼らの音色をとても楽しんでいる。

(日記により語尾「だ・である」「です・ます」体がちぐはぐですが、自分の日記や感想は前者で、読者に語りかけるようなときは後者で書くようにしています。)

 

2007年11月23日 13:09

昨日は元・Butter Dogsのメンバーによる練習。4月の東京での万笛博覧会以来、半年振りにきちんとしたハーフ・ステージを勤めることになりました。半年前の曲をそのまま演奏するのですが、もう曲を忘れて大変です。ソロパートで何をやっていたのか、全然思い出せません。練習に来る前に自分の演奏音源を聴いて復習しておくんだった!
でも録音を帰りの電車で聴いていたら、自分の笛については半年前よりは良くなってました(自己評価ですが…)。基礎練習の成果かな!?

それはさておき、ギターのゲンタ君が、たぶんここ1年くらいの間、東京で一目惚れした子を連れて来ていたのに、今日は昔の子と来ていました。なんで?と聞いたら、「俺がいくら頑張っても、答えてくれなかった。成長してくれなかった」からなんだそうです。出会った頃は最初は声が大きくて「ライオンみたいだ」とか言っていたのに、近々、売るかもしれないんだそうです。古い子は、ドイツのドライゼンタさん、今日の子はローデンさん。ドライゼンタさんは、御茶ノ水の楽器店で一目ぼれして即買いしたギターなのです。

ゲンタ君の楽器に対する話を聞けば聞くほど、僕には恋人の話にしか聞こえません。昔にどこかで、ミュージシャンにとっての楽器は、どこに行くにも一緒だし、ご機嫌を常に伺わなければならないし、仕事上のパートナーでもあるので、恋人かそれ以上の存在だと書いたことがありました。来年には僕の新しいアイリッシュ・フルートが届きますが、同じメーカーによる今の笛と、新しい笛のどちらかを選んでどちらかを売らばねばならず、身につまされます。

同じような話が今週行ったパブのセッションでもありました。僕が、新しいアイリッシュ・フルートを注文した話をしたところ、「アイリッシュ・フルートを買うのって難しいんやろ?」と質問されました。確かに、日本の店舗では取り扱いがないし、海外のメーカーに直接連絡を取ったり、入金したり、長い待ち時間があったりと手に入れるまでの過程には手間がかかります。しかしそれ以上に大変なのは、両手の指の数くらいある名の通ったメーカーから自分好みの楽器を見つけることです。

「世界1のヴァイオリニストは誰か?」と聞かれても、人それぞれ好みがありますから、あるレベル以上は決められないのが本当でしょう(いくら、世界一を決めるコンクールがあったとしても、それは審査委員の基準なわけだし)。アイリッシュ・フルートもそれと同じで、それぞれのメーカーの個性や方針があるので、あるレベル以上は好みの問題なのです。だから、自分の音楽の志向と楽器の特徴がマッチしていないと、いくら高いお金を払っても良い楽器には巡り合えません。

そのためには、日々の練習と、楽器についての情報収集が欠かせません。何せ、クラシックフルートのように店舗で吹き比べが出来ないこの楽器。アイリッシュ・フルート奏者どうしが出会うと、相手の楽器を吹きあったりしますが、それは情報収集のためなのですね。同じメーカーでも常に品質のばらつきがあるので、もう手元に来た楽器とのご縁を信じるしかありません。僕の楽器は、5社から絞った挙句に、メーカーとの長いメールのやりとりをし、最終的にはスイスに行って頭部管のタイプを選ぶなど慎重にしましたが、それでもこれがベストマッチなのか自信はまだありませ